「悪と全体主義」(仲正昌樹」

 ハンナ・アーレントナチスによるユダヤ人大量虐殺の問題に取り組んだことで有名であるが、そんなアーレントの著作から「悪と全体主義」を唱える展開は、擬似宗教的世界観に呑み込まれない思考法の重要性を考える上でも非常に勉強になる一冊である。

 アイヒマン裁判とアーレントの問題意識。アイヒマンユダヤ人を強制収容所絶滅収容所に移送し管理する部門で実務を取り仕切っていたナチス親衛隊の中佐。イスラエルでの裁判で、アーレントが語ったアイヒマンの人物像は「どこにでもいそうなごく普通の人間」。これには、大量のユダヤ人を死に追いやった人物をどうして擁護するのかと非難されたようであるが、アイヒマンが忠実に命令や法に従ったことを信念を持って論じているアーレントの凄さであろう。

 「分かりやすさ」という陥穽(かんせい)。現代に置き換えると、インターネット上には様々な意見や主張が飛び交っており、検索すれば多様な意見や考え方に触れることができると思うかもしれない。実際には自分と同じような意見、自分が安心できる意見ばかりを取り出して、安心して終わっていることが多いのではないだろうか。

 「分かりやすさ」に慣れてしまうと、思考が鈍化し、複雑な現実を複雑なまま捉えることができなくなる。いかなる状況においても「分かりやすさ」の罠にはまってはならない。私たちにできるのは、この「分かりにくい」メッセージを反芻しつづけることではないだろうか。

「世界史のなかの日本史」(半藤一利)

 昭和の日をまたいで読むことになった「世界史のなかの日本史」。著者の半藤一利に昭和を語らせたら右に出る者はいないであろう。

 スターリンヒトラー。この二人の非人間的で極悪な指導者が、二十世紀の世界歴史上にわずかに姿を示してきたのは、ほとんど昭和の開幕と同じ頃であった。昭和の開幕と同時に凶暴な力に振り回されることとなった昭和日本。初めから昭和史の悲劇がこの本でも展開される。

 ちなみに、パリ不戦条約と日本国憲法9条の相関性を今年の憲法記念日当日に初めて知ったのは偶然の賜物か。非戦と戦争放棄。日独伊も締結したこの条約は昭和3年8月のことであった。

 ナチス・ドイツと同じ状況にあった太平洋戦争直前の「自主的な通報、密告のネットワーク」の脅威。戦争というものはそういう国民の協力があって推進される。それがいいことだと、思考を停止し、信じ込む。集団化された人びとは熱にうかれやすい。画一的で、異質を排除する不寛容な傾向を持ち、 ときには暴力性をはらむ。昨今の共謀罪という法律が、「核兵器アベノミクスも」と主張する人びとに想像以上に妙な力を与え、危機克服のためにナチス・ドイツと同じような道を日本人に選ばせるのでは、その時代を肌で感じた著書の感覚はわれわれが危機感を持って大事にしないといけないのではないだろうか。

 八月や六日九日十五日、驚くことにこの句を意味するところをわからない若者が増えているという。悲しい現実である。

「「石油」の終わり エネルギー大転換」 (松尾博文)

 「石油」の終わり。電気自動車も現実となっている現状で、そう遠くない未来に価値が下がる「石油」。そんな今後のエネルギーを考えさせられた一冊である。
 日本は中東に原油の8割を依存する。オイルショックで痛い目にあったはずの日本は、混迷を増す中東に、なぜ今も依存するのか。震災前の日本は電力の約3割を原発で賄っていた。悲惨な事故を経験した日本がどうしてもう一度、原発を動かさなければならないのか。理想を語るのはたやすい。
 しかし、グローバリズムの進展とその真逆の偏狭なナショナリズムポピュリズムの台頭。内向きになる米国と拡張主義に走る中国。目に見える脅威となった地球温暖化や速度を上げるイノベーション。変数が複雑化する一方で、安全性、環境、経済性、安定調達といった、すべての条件を満たすエネルギーは存在しない、ということが明確になってきた。残された道はこれらの優劣を考えた最適な組み合わせを見つけること。利点を最大限生かし、弱点を補う最善策を準備する現実的な解を探る努力をこれからも続けるしかない。
 福島第一原発廃炉は30年、40年がかりの作業だ。「まだ山に登り始めていない。山の高さもわかっていない」。しかし、何年かかろうと、登らなければならない山だ。途中で投げ出すわけにはいかない。何より事故によって故郷を離れざるを得なくなったたくさんの人々がいる。このことを忘れるわけにはいかない。非常に示唆に富んだ提言である。

「日本史のツボ」(本郷和人)

 年齢を重ねたせいか、最近は歴史に興味を持つようになった。そんな日本史をコンパクトにまとめたのが「日本史のツボ」。7つのツボをおさえれば、歴史の流れがつかめるという一冊。7つのツボとは、天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済のことである。
 このような様々な切り口で展開されて勉強になることが多かったが、一番興味深かったのが「関東」の定義。関東といえば東京を中心とした関東平野に広がる地域を普通に連想してしまうが、そもそも関東とは、越前にあった愛発(あらち)、鈴鹿、不破の三つの関の東側を指す地域だというから、広範囲に及ぶから驚きである。
 それに対して、京都、大阪は「関西」とは呼んでおらず、「上方」と呼ばれていたのは周知の事実である。京都、大阪が上で、それ以外の地域は下ということになり、「くだらない」という言葉もこのような背景があるようだ。お酒にしても何にしても、江戸の人間にとって上方から下ってくるものが高級品、それ以外は上方から下って来ないもの、すなわち品質の落ちるもので、「くだらない」という表現が生まれたとのことである。まさに東西格差の言葉になっており、残念な語源である。
 本の中に登場した白村江の戦い六波羅探題御成敗式目などの出来事や役割など、以前学校で習った記憶はあったが、久々に目にして懐かしさとともに自分の不勉強さが露呈された。まだまだ改めて学ぶことは多いことを痛感させられた一冊であった。

「万事正解」(角野卓造)

 渋い劇団俳優・角野卓造近藤春菜の父ではない。「渡る世間は鬼ばかり」に出てくる役の印象が強いが、この「万事正解」、前向きな人生で読んでて楽しませてくれる。
 最初は酒呑みのお話。居酒屋はひとりにかぎるといい、初めてのお店に行く時は「口開け」を選ぶようにしているという。その理由は、先にお客さんが入っているより、誰もいない空間にいたいようで、常連客で盛り上がっている中に入っていくのは躊躇があるという。共感したいが、17時前の入店は一般サラリーマンには厳しい現実である。
 居酒屋とは異なり、家吞みも楽しんでいるという。楽しみは「デパ地下」でお惣菜をちょこちょこと買い込むこと。伊勢丹新宿本店のおすすめは、干物が旨い「魚谷清兵衛」、懐石料理の「東京吉兆」、いかの白作りが絶品な「新潟加島屋」、豆腐が美味な「MISOSUKE」。どれも読んでて美味しそうである。ランチョンマットをテーブルに広げて、お惣菜を小洒落た豆皿に並べる。妻と向かい合って、お酒を一杯やりながらお惣菜をつまめば、これはなかなかの素敵な時間となる。こんな生活に憧れる。
 最後に、人生は「あみだくじ」。あみだくじは、線が足されると分岐していく。つまり人生も、要所、要所で出合いがあり、出来事があり、それによって線が足され、別の方向に進んでいく。自分の人生の「あみだくじ」を逆にたどっていくと思い出が蘇る。いい例えである。自分も時間がある時に辿ってみたい。

「一発触発の世界」(佐藤優)

 地政学リスク。隣国の北朝鮮が怪しい動きをしている状況ではしっかりと見極めないといけないリスク。そんな地政学リスクを知るのにいつも大いに役立つ佐藤優氏の著書。今回はそんな彼の著書「一触即発の世界」を読んだ。
 目次を眺めても、米朝開戦の可能性や北朝鮮金正恩のしたたかな戦略、どこまで進む「爆風トランプ」、誰も知らない北方領土交渉前史、北方領土問題解決の道筋など今の日本と取り巻く重要な問題が記されている。北方領土の問題は鈴木宗男氏とともに著者の話によく出てくるので今回は詳しくは触れないが、中でも北朝鮮の話には興味を引き寄せられる。金正男殺害事件の目的をはじめとして様々な問題を取り上げているが、心配なのは独裁者の「痛風」 と「痔ろう」というから面白い。痛風や痔ろうを持っていると会議の報告を最後まできちんと聞かない、それで判断を間違えることがある。確かに先日の南北首脳会談で映し出された独裁者の体型は勝手ながら心配になってしまう。西郷隆盛もフェラリアで判断ミスを犯して政府軍に敗れ去ったという。
 最後に著者が訴える不透明な時代を読む技法。若い世代には教養の幅を広げてほしいということ。身につけてほしいのは観察や論理的な能力、外国語の力。日本はもともと基礎体力がある国だから、その基礎体力に対して応用能力を少しつけるような形にして幅を広げると裨益する。自分も教養の幅を広げなくてはいけないと痛感させられた。